豊の国宇佐市塾の開塾者で塾頭を務める平田崇英氏は宇佐市森山にある教覚寺の第20代住職、宇佐神宮が最大勢力をもった時の大宮司平田公通(妻は平清盛の娘)の末裔でもある。ある時、確か数年前の平和ウォーク、昼食場所の教覚寺で戦争遺跡関連資料や寺の所蔵物が公開されていた。その中に「丹下左膳」の大ポスターがあり、平田氏が大河内伝次郎と縁戚関係にあることを知った。以来、何度かその関係をお聞きしたのだが、???多く、今回改めてメールのやり取りで確認させていただいた。今回は間違いないと思うので下記に紹介することにした。